2024.8.22

2024.8.22

「ちょっとじゃあ、その紅に黄色を混ぜて橙っていう曲をやります」でお馴染み(?)週末です。今週の土曜に横浜でアジカンのファン感謝祭という名のライブが行われる。私も行くのだが、このファン感謝祭に向けてブログを書いておこうと思う。

 

アジカンとの出会いは、約10年前、同じ職場の先輩を通じてだった。当時からストレイテナーが好きだった私が先輩にそのことを話したら、先輩は次の日にはアジカンのアルバムの
CDを全て持ってきて、私に貸してくれた。そして、そこから本格的にアジカンを聴くようになったのだが、あるとき気づいたのだ。「あれ?この海岸通りと橙って曲ヤバくね?」

 

海岸通りは言わずもがなの名曲だ。確かに一般の人は知らないかもしれないが、少しでもアジカンが好きな人であれば、「あ~~~海岸通りね。分かる。」と言ってくれるだろう。(筆者の勝手な妄想です。)聴いてもらえれば”””分かる”””ので、ぜひ聴いていただきたいのだが、歌詞も良ければ、メロディも良い。不動の名曲であることに疑いの余地はない。ただし、ライブでは最近演奏されていないはずだ。記憶では数年前に横浜のGreenroom Festivalのアンコールで演奏されていて、それを知った私は当時膝から崩れ落ちた。

 

そして橙だ。これは正直よく分からないのだが、海岸通りと比較してもあまり人気が無いように思えた。私の周りでアジカンが好きな人は、前述の先輩の他にも2名ほどいるのだが、「橙ってめちゃくちゃに良いよな」と私が言っても、そこまで賛同を得られていない(気がする)。私の中に「アレ?橙ってめちゃくちゃに良い曲だけどな…」という少しだけ疑念が浮かぶ。だが、そんなことは置いておいて、私はこの曲が大好きだ。綺麗なメロディ。沈む夕日が脳裏にはっきりと浮かぶ。「涙が落ちて 海に注いで 何時しか空まで戻るような 何一つ残らなくたって 君が笑えばそれで」というエグい歌詞。だが、この曲もライブでは演奏されていない。youtubeには古い映像が残されているが、いつからライブでやっていないんだろう…と思っていた。

 

私もライブやフェスでアジカンを見る機会は幾度となくあったが、この2曲は私の眼前で演奏されない。(最近では、ライブでリライトを演奏するアジカンに歯ぎしりすらしていた。)「このままライブで海岸通りと橙を聴けないままか…」と思っていた。

 

ところが、前述のファン感謝祭だ。このファン感謝祭では、ファンが投票した曲でライブのセットリストが構成される。いわゆる人気投票のようなものだ。私もチビチビ投票していたが、6月に中間発表があった。結果は以下のとおりだった。

愛してやまない橙が3位じゃないか…海岸通りも6位じゃないか…「なんだよコレ…」職場の昼休みに漠然とスマホを眺めていた口から零れ落ちた。というか1位から10位までかなり狂っている。(褒め言葉)本当に、心の底から「みんな分かってんな~~~」と思った。職場で腕組みして、うんうんと頷いた。

 

当日ライブ会場にいる全員というか、橙に投票してくれた全員にビールを奢ってやりたい。何ならもう1杯、緑茶ハイまで奢りたい。ということで全国のアジカンファンの皆様。土曜の夕刻、沈む夕日、海岸近くの横浜で、海岸通りと橙が鳴る瞬間まで生き延びましょう。どんな締め方やねん。

2024.7.18

昨日、仕事で関連する人が亡くなった。まだ40代だった。仕事で関連すると言っても、月に一回会っては「最近元気にしてますか?」とか「今日は暑いすね」とか言って、たわいもない世間話やバカ話をするだけで「じゃ、また」と言って別れる。しょっちゅう飲みに行く訳でもないし、そんな大事な話をするような間柄でもない。

 

ただ、今日のお通夜でボロボロに泣いてしまった。その自分の涙の根源は、極論を言うと、彼の若すぎる、いわば信じられないような理不尽な死に対してでもなく、残された家族へ向けられたものでもないような気がしている。式場の近くのコインパーキングで、参列者と別れて、1人で泣きながら私が思ったことは「また話したかったなぁ」ということだった。特に明確に話したいことがある訳でもない。(もちろん、今の段になれば、話したいというか文句の一つでも言いたいが。)ただ、あの声とあのリズムでもう一度しょうもない話がしたかっただけなんだと思った。「じゃ、また」の続きを平和に、ただ延々と続く日々の中でしたかっただけなんだと。

 

自宅でまたボロボロに泣きながらこの記事を書いている。僕もいつか死ぬことだけは間違いない。「じゃ、また」の続きを絶対に天国でやりましょう。どうか安らかに。

2024.5.15

「知らない街の知らない店で知らない人と飲むのが一番面白え」でお馴染み、週末でございます。

唐突ですが、現在、私は全国ツアーの真っ最中です。何を言っているのか、意味が分からないと思いますが、自分でも分かっていません。正確には全国ツアーをしているということにしました。先ほどそれを私自身で決定したのです。以下、その経緯を述べます。

先日、ふと思いました。「全国ツアーと銘打っていても、マジで全国、いわゆる47都道府県巡るようなツアーをしているようなバンドやアーティストって多くないよな」と。そうなると、(済)大阪⇒(済)名古屋⇒宮崎⇒高知⇒東京⇒北海道と旅を予定している私も「全国ツアー開催!!!」と言ってしまえば、それはつまり、「全国ツアーをした」ということになるのです。皆さんも一度は「全国ツアーをやってみてえな」と思ったことがあるはずです。私は先に行くンゴよ~~~。

ということで、全国ツアーとか言って、事前の告知も振り返りもないのでは、あまりに寂しいので、とりあえず先月の大阪と先日の名古屋を簡単に振り返りたいと思います。

【大阪編】
初日
⇒前日の職場の飲み会で人生で一番酷い二日酔いになってしまった中、大阪で東京在住の友人と合流。大阪の布施という街の渋い居酒屋で飲んだ。その店内には”アサヒ生ビール 年中あります”と書かれた古い看板があって、「以前は生ビールは年中飲めなかったんだ」と思う。現代の冷蔵・運搬の技術に感謝だ。布施の人人は、渋い人が多かった。良い意味で地方都市らしい商店街もあったりして、素晴らしい街だった。布施の近くの八尾という街に宿泊。八尾のホテルにあったサウナは、夜中は人が入れないレベルで熱かった。殺す気か。

2日目
⇒難波で昼から友人と飲む。その流れで麻雀をした気がする。その後、ビッキャのさよならポエジーのライブへ。全国ツアー初日だった。ライブの整理番号が良すぎるあまり、最前列に陣取るも、完全にそれが仇となる。全然身動き取れないし、周りの人の盛り上がりも感じることができなかったため、なんかイマイチなまま終わってしまった。(ライブ自体はクソ良かったと思う。)ライブ終わりに友人と合流して打ち上げということで飲む。

3日目
⇒この日が強烈だった。友人と京橋という街の銭湯に突撃した。目的はサウナだった。サウナ自体は非常に良かったが、タトゥー・入れ墨がOKだったため、マジモンの人が多くて、あまり気が休まらなかった。腕に真っ黒の入れ墨を入れている人がいて、ウエットスーツみたいになっていた。子どもが観たら泣くど。
その後、西成に移動。西成という街は検索してもらえれば分かるが、路上生活者が集まる、いわゆる「スラム街」のような場所である。よくネット上では「全国で最も治安が悪い」と書かれているが、確かにそうだった。初めて、日本の街を歩いて「気を抜いたらやられる」と思った気がする。その西成で昼過ぎから友人とハシゴ酒をした。結構酔った状態だったため、どこかに忘れないよう、新大阪駅の新幹線の改札口に入ってから、お土産を購入するも、即ロストバゲージしていた。アホである。

【名古屋編】
初日
⇒到着後、そのまま大須という街で麻雀。同じ卓に職場の元同期にドッペルゲンガーかっていうくらい顔がそっくりの人がいて、話しかけようかと思ったが、普通にピリピリしていて、話しかけられなかった。怖いって。一緒にダブルピースで写真撮ってもらえば良かった。
その後、栄に移動して、フォロワーと飲む。明らかにフォロワーの方が自分より酒に強かった。結局4軒くらいハシゴして、最後に路地裏にある「スナック  さつき」に乱入。60~70歳くらいのママが一人でやっているようなお店だったが、雰囲気が激渋で最高だった。ママが明太子が好きだと言っていたので、今度買って持っていこうと思う。名古屋は3回目くらいの来訪だが、名古屋の人や街を全然知らないと痛感した。めちゃくちゃ良い夜だった。

2日目
⇒高校の同級生と昼過ぎから飲酒。飲酒してパチ屋に突撃して再度飲酒するという黄金ルートを刻む。全国どこでもできることだ。色んな支払いを、都度サイコロで決めるということになるが、全ての勝負で負ける。コンビニの傘まで奢る羽目になった。なんで???

3日目
⇒朝から麻雀に突撃。(初日とは別の店。)雀荘なのに生ビールがキンキンのジョッキで出てくるタイプで、横の席に座っていたオッちゃんと仲良くなり、午前中から生ビールを飲みまくる。その後、大須の渋い居酒屋を尋ね、お店の前に並んでいた50代くらいの夫婦と世間話をしていると、過去に北九州市に住んでいたことが判明。「北九州が一番良い街だった」と懐かしそうに話してくれて、なぜか自分がめっちゃいい気分になった。そのまま泥酔して、最後に高級なひつまぶしのお店に乱入。自分はハーフパンツにロンTだったが、周りは接待みたいな雰囲気のスーツ姿の人たちばかりだった。こういう「世間からの裏切り」みたいなことがオレの人生ではたまに起こる。

以上が振り返りでした。ちょっとゴメンなんやけど、コレって何の全国ツアーをされてる方なの?(和田アキ子)でも、やっぱり全国ツアーなら、タイトルがあった方が格好が付きますな。週末の全国ツアー「「「「「人生」」」」」でやらさせてください。やらさせてくださいと言っている相手がいないのに言ってしまえる(?)あたりやねん。結局。いつか、週末が君の街まで。週末でした。

2024.2.13

皆様、お久しぶりです。週末でございます。

付き合って2年、そして同棲を始めて1年が経った彼女と約3週間前に別れた。以下は独身異常敗北男性の「備忘録」兼「自分の思考の整理」兼「自戒」である。結婚を前提に始まった彼女との同棲生活は遂に終わりを迎えた。長い人生で考えると、「たったの」1年だったが、とても長い旅に出ていたような気がする。今まさに彼女の荷物達はまとめられ、部屋から旅立っている。どうして、このような終幕となってしまったのか。徹底的に振り返りたいと思う。ちなみにヨリを戻したいなどとも全く思っていないし、彼女ともしっかりと話をして出した結論だ。ただし、以下の内容は私からの主張のみであることを予め断っておく。

こういう話をすると「元々、あなたは結婚する気がなかったのではないか?」という指摘をしてくる人がよくいるが、その指摘は当たらないという前提で読んでいただきたい。実際に、彼女の両親には同棲を始める時に挨拶もしたし、何より自分自身が同棲する前は「この彼女と結婚する気がするなぁ」と感じていた。ただし、この考えには何らかの根拠が存在していた訳ではない。正に「結婚したいなって思ってたんだ でも思っていただけだったんだ どういうことかわかんなかった」という超ハッピーバカ状態だった。

今回、私が彼女と別れることになった原因は大きく2つあると考えている。「暮らしに対する価値観の違い」と「時間に対する価値観の違い」だ。

まず、「暮らしに対する価値観の違い」だ。お互いに一人暮らしをしていた期間が長かったため、一通りの家事はできる状態だった。同棲が始まったときに、家事の分担について話し合って決定した。だが、実際には彼女はその分担された家事を履行しないことがあった。具体的には、彼女は洗濯をするという役割を担っていたが、洗濯をせずに洗濯物を溜めて、私が仕事に着ていく洗濯済みのYシャツがなくなるといったことがあった。当時「どのようにこの状況を解決するか」と思い悩んだが、まずはシンプルに「相手に注意する」という選択をした。というか、それ以外思いつかなかった。「注意する」以外で「何らかの仕掛けを持たせる」ようなイメージも持っていたが、私のポンコツな脳からは「洗濯機を回せば、洗濯機がレインボーに光るようにする!!!」とか、そういうクソ以下のアイデアしか湧かなかったので諦めた。

結果として「注意する⇒洗濯する⇒たまにやっていない⇒注意する⇒洗濯する」というフレデリックもびっくりの「「「「「「「「「カスループ」」」」」」」」」」」」(←超面白ポイント。この記事一番のボケ。ここで笑わないともう笑うポイントなし。オフ会参加者0人。)になっていった。てか、普通に洗濯くらいやれよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!注意する側もストレスやねん!!!!!!!!!!!!!!!!子どもか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

失礼。取り乱してしまった。前述のようなことが、洗濯以外の家事でもたまにあった。じゃあ、これの何が悪いかという視点だが、洗濯で言うならば、当然「実際に着ていく服がないから困る」という点がまずは浮かぶだろう。その点以外で私は「自分の行動が他者に与える影響を理解できていないな」と感じた。まぁいいや、なんか内容が暗くなってきたし、意味ないやろこんなの。もう終わろうや。女将さ~~~~~~ん、アサヒの瓶で。

次は「時間に対する価値観の違い」だ。これもええねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!オレが極度のせっかちなのが悪いねん!!!!!!!!!!!!!!でも、段取り悪いねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!チャキチャキ行動せえよ!!!!!!!!!!!!!時間もったいないねん!!!!!!!!!!!!!!!荷物多いねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!荷物多いんかい!!!!!!!!!!!!!!

ここまで、私の論理的かつ冷静な思考の整理に約1,400字を費やしてきたが、最後に無茶苦茶に大事なことを書きたいと思う。刮目せよ。時には論理を捨てて、大事な人には優しくしよう。でも、その優しさの果てが相手に甘えさせるだけならば、それは優しさではない(気がしている)。これが今回の学びだ。今年は女と遊びたいもんですな。バシャウマでした。

2022.5.4

どこまでも晴れているような青空の下、最寄駅のホームで爪は黄色くなっていた。GW中に遊び、飲みすぎた代償は右手の爪に現れた。とにかく、緑茶ハイをギャルの谷間から飲ませて欲しい。ありえんバブみ尊い。そんな日々を追い求めている。


皆様、お久しぶりです。週末でございます。過去の記事を参照すると、実に219日ぶりのブログの更新のようだ。何卒。

年明けくらいから、多々出来事がありつつ、このGWに突入している。自身の備忘録も兼ねて、年明けから振り返っていきたい。

まずは1月だ。目が見えなくなった。12月から1月にかけて無限残業を繰り返していたところ、1月中旬くらいに遂に視力がかなり落ちて、PCの画面がかなり見えづらくなった。その後、眼科で受診した結果、『ストレスにより一時的に視力が落ちている可能性がある』とのことで、服薬したところ、無事に視力は回復した。現代の高度な医療に感謝である。

さらに無限残業の話で、精神的に参ってるときだった。そこまで親しくない、なんて言い方をすると失礼だが、ある先輩と職場の駐車場ですれ違ったときに『がんばれよ!!!』と大声で言われた。突然、その先輩が柄にもない大声で言うものだから、駐車場で一人で泣きそうになってしまった。その先輩も自分と同じ業務を担当した経験があったので、担当しか知らない地獄を味わっていたのだった。人には人しか知らない地獄がある。

そして運命の1月23日だ。衝撃的な出来事が起こる。この日も自宅で通話しながら、東京の友人と競馬をやっていた。競馬にはWIN5という賭け方がある。ざっくり説明すると"JRA側が指定した5レースの1着馬を全て当たると払い戻しが受けられる"というものだ。

この日も友人とWIN5共同購入して、レースを眺めていたが、残念ながら5レースのうち1レース目から早速ハズレ。この時点で、WIN5自体はハズレが確定したのだが、その後のレースを眺めていると、なんと2レース目から5レース目まで全て的中したのだ。つまり、1レース目さえ当たっていれば、WIN5的中ということで払い戻しを受けられていたことになる。

その払い戻し額を見て、友人と呆然とした。PCの画面には、『3026万1490円』という数字の羅列が無味無臭に表示されていた。あと1レースさえ当たっていれば、1人頭約1,500万の払い戻しを受けられたのである。

爆負け、爆負けだ。田村でも負け、谷でも負け、母でも負け。爆負けの金メダル。爆負けが『ストップを言うまで乗せますからね〜』と海鮮居酒屋のいくら丼のいくらのように押し寄せてくる。あああああああああ!!!!!!もう止めてぇぇぇぇぇぇ!!!!!!ストップ!!!!!ストップですぅぅぅ!!!!!!!(裏声)

その後、友人と通話で一通りの負け惜しみという名の騎手と馬の悪口を言った後、自宅近くのリンガーハットで夕食のちゃんぽんを食べた。しかし、そのちゃんぽんは無味無臭だった。あまりの額面の大きさに自分は味覚と嗅覚を失った。そのため、1月に一時的ではあるが、前述の視覚と合わせて、合計3つの感覚を喪失したことになる。とても貴重な体験だった。ありがとうございました。(?)

そして、3月だ。マッチングアプリで知り合った、ある女性と飲みに行くことになった。結局、3月21日に2回目の食事に行ったときに自分から告白して、付き合うことになった。色々と書きたいことはあるが、あまり書くとキモいので、控えておくことにする。そもそも、自分はブログ含む書き物の類で、"成功した話"を延々と書くヤツが嫌いだ。キモいんじゃ。

そう、賢明な読者諸君はお気づきだと思うが、1月23日に爆負け→3月21日に爆勝ちなのである。彼女と付き合えたことを爆勝ちと表現するのはどうかと思うが。つまり、この法則性でいくと、4月56日に爆負け→6月54日に爆勝ちになるのである。高卒パワー全開!!!!!!!!!!!!!ではまた。

2021.9.26

シルバーウィークが静かに終わろうとしている。明日から5日間連続で仕事が続くという事実に、自室で一人震えている。ただ震えるばかりでは、勿体ない(?)と思ったので、今回久しぶりにブログを書くことにした。


『書を捨てよ街へ出よう。』自分の中でも、とても好きな言葉だ。出典などもろくに調べていないが、この言葉と出会って以来、この言葉は自分の体内で息をし続けている。旅が好きな自分の性分に合っているどころか、理屈っぽい自分のことをあざ笑ってくれるような気がして、とても好きなのである。


しかし、例のウイルスが流行してからというもの、旅どころか街へ出ることも控えるような世の中になってしまった。人間の移動本能は抑圧されている。ファッキンコロナ。だが、今回のシルバーウィークに久しぶりに友人達と旅へ出た。旅先ではお酒を酌み交わしたり、日々の些細なクソみたいな出来事から、人生の大事なことまで様々なことを話した。


旅先の街並み、お店の雰囲気、駅前の商店街の空気、雑踏で耳に入ってくる言葉、人々の歩くスピードや服装、出会った人達と交わした言葉、友人のサカナクションが響き渡る場末のスナック、もう飲みたくないと思ったレモン酎ハイ、態度の悪いタクシー、二日酔いで浸かる熱い湯船、もう吸いたくないと思った友人から借りたグロー、また座りたい新幹線のグリーン席、高速道路の長時間の運転、どこでも食べられるガトーショコラ、跡形も無くなっていた占いのお店、夜のサービスエリアのラーメンとチャーハン、カラオケの桑田、久しぶりに自宅に戻った時の"自宅の空気の匂い"。全てが良かった。


兎にも角にも、自分で体験・経験することが大切だ。おそらく『書を捨てよ〜』という言葉も、そういうことを言いたかったのだろう。そういうことにしておこう。現代のSNSとかも、この『書』には含まれているような気がする。今やインターネットで検索すれば、大概のモノは出てくるのだ。そこで『分かった』と思ってはいけないんだよと。まぁ、そんな感じだろ。詳しくは知らん。


最近よく聴く、The Whoopsというバンドの衛星という曲にこんな一節がある。"年をとれば忘れるから そんな欲張りは言えないや 素敵だとか、不思議だとか そんな簡単なことを 話したり思ったり感じたり笑ったりだけでいいよ"。素敵だね〜〜〜。また明日からもボチボチやりましょう。おやすみなさい。

2020.12.26

今年を振り返ると、外出自粛期間の内に、自宅でキンミヤの焼酎を飲み続けて肝臓を壊したり、元カノに振られた反動により競馬で2分間で27万円負けたり、果ては先輩の結婚式の余興でミルクボーイの漫才を完コピするために、髪型をミルクボーイ内海の角刈りにした影響から、現在自分の髪型は坊主である。いくつかは自業自得なものもあるが、中々に散々な1年である。

ウイルスが落ち着き始めた頃から、友人や職場の先輩達と、いつもと同じく、毎週のようにお酒を酌み交わしていた。今年、周囲の人々は次々に結婚していった。同じ年齢で子供がいるのはザラだ。正直言って、まだ孤独を受け入れるとこが出来るし、一人の時間が欲しいので、到底結婚する気も予定も無い。来年も孤独を愛していこうと思う。

秋には東京へ行った。そこで、Twitterで知り合った一人の男性と飲んだが、半端じゃない程の人生観と人生経験の持ち主だった。再会の日まで、死ぬ訳にはいかない。世界は広くて、まだまだ自分の見聞が及びもしない人や分野が、無数にある。全てを体験することは、短い一生では不可能だと思うが、出来る限り触れてみたい。

今乗っている地下鉄には、『何度転んでも走り続けるんだ!』と書かれた、地下鉄の車両を模したおもちゃの中吊り広告がある。それは一見特に現在の情勢とは無関係だが、その文字が書かれているところだけ、赤い文字になっている。まあ応援なんて大体が身勝手なもので、受け取り方も同じく身勝手だ。この広告が静かに自分に着地したように、それくらいの応援を来年は自分が他人にしていきたい。