2024.2.13

皆様、お久しぶりです。週末でございます。

付き合って2年、そして同棲を始めて1年が経った彼女と約3週間前に別れた。以下は独身異常敗北男性の「備忘録」兼「自分の思考の整理」兼「自戒」である。結婚を前提に始まった彼女との同棲生活は遂に終わりを迎えた。長い人生で考えると、「たったの」1年だったが、とても長い旅に出ていたような気がする。今まさに彼女の荷物達はまとめられ、部屋から旅立っている。どうして、このような終幕となってしまったのか。徹底的に振り返りたいと思う。ちなみにヨリを戻したいなどとも全く思っていないし、彼女ともしっかりと話をして出した結論だ。ただし、以下の内容は私からの主張のみであることを予め断っておく。

こういう話をすると「元々、あなたは結婚する気がなかったのではないか?」という指摘をしてくる人がよくいるが、その指摘は当たらないという前提で読んでいただきたい。実際に、彼女の両親には同棲を始める時に挨拶もしたし、何より自分自身が同棲する前は「この彼女と結婚する気がするなぁ」と感じていた。ただし、この考えには何らかの根拠が存在していた訳ではない。正に「結婚したいなって思ってたんだ でも思っていただけだったんだ どういうことかわかんなかった」という超ハッピーバカ状態だった。

今回、私が彼女と別れることになった原因は大きく2つあると考えている。「暮らしに対する価値観の違い」と「時間に対する価値観の違い」だ。

まず、「暮らしに対する価値観の違い」だ。お互いに一人暮らしをしていた期間が長かったため、一通りの家事はできる状態だった。同棲が始まったときに、家事の分担について話し合って決定した。だが、実際には彼女はその分担された家事を履行しないことがあった。具体的には、彼女は洗濯をするという役割を担っていたが、洗濯をせずに洗濯物を溜めて、私が仕事に着ていく洗濯済みのYシャツがなくなるといったことがあった。当時「どのようにこの状況を解決するか」と思い悩んだが、まずはシンプルに「相手に注意する」という選択をした。というか、それ以外思いつかなかった。「注意する」以外で「何らかの仕掛けを持たせる」ようなイメージも持っていたが、私のポンコツな脳からは「洗濯機を回せば、洗濯機がレインボーに光るようにする!!!」とか、そういうクソ以下のアイデアしか湧かなかったので諦めた。

結果として「注意する⇒洗濯する⇒たまにやっていない⇒注意する⇒洗濯する」というフレデリックもびっくりの「「「「「「「「「カスループ」」」」」」」」」」」」(←超面白ポイント。この記事一番のボケ。ここで笑わないともう笑うポイントなし。オフ会参加者0人。)になっていった。てか、普通に洗濯くらいやれよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!注意する側もストレスやねん!!!!!!!!!!!!!!!!子どもか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

失礼。取り乱してしまった。前述のようなことが、洗濯以外の家事でもたまにあった。じゃあ、これの何が悪いかという視点だが、洗濯で言うならば、当然「実際に着ていく服がないから困る」という点がまずは浮かぶだろう。その点以外で私は「自分の行動が他者に与える影響を理解できていないな」と感じた。まぁいいや、なんか内容が暗くなってきたし、意味ないやろこんなの。もう終わろうや。女将さ~~~~~~ん、アサヒの瓶で。

次は「時間に対する価値観の違い」だ。これもええねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!オレが極度のせっかちなのが悪いねん!!!!!!!!!!!!!!でも、段取り悪いねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!チャキチャキ行動せえよ!!!!!!!!!!!!!時間もったいないねん!!!!!!!!!!!!!!!荷物多いねん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!荷物多いんかい!!!!!!!!!!!!!!

ここまで、私の論理的かつ冷静な思考の整理に約1,400字を費やしてきたが、最後に無茶苦茶に大事なことを書きたいと思う。刮目せよ。時には論理を捨てて、大事な人には優しくしよう。でも、その優しさの果てが相手に甘えさせるだけならば、それは優しさではない(気がしている)。これが今回の学びだ。今年は女と遊びたいもんですな。バシャウマでした。

2022.5.4

どこまでも晴れているような青空の下、最寄駅のホームで爪は黄色くなっていた。GW中に遊び、飲みすぎた代償は右手の爪に現れた。とにかく、緑茶ハイをギャルの谷間から飲ませて欲しい。ありえんバブみ尊い。そんな日々を追い求めている。


皆様、お久しぶりです。週末でございます。過去の記事を参照すると、実に219日ぶりのブログの更新のようだ。何卒。

年明けくらいから、多々出来事がありつつ、このGWに突入している。自身の備忘録も兼ねて、年明けから振り返っていきたい。

まずは1月だ。目が見えなくなった。12月から1月にかけて無限残業を繰り返していたところ、1月中旬くらいに遂に視力がかなり落ちて、PCの画面がかなり見えづらくなった。その後、眼科で受診した結果、『ストレスにより一時的に視力が落ちている可能性がある』とのことで、服薬したところ、無事に視力は回復した。現代の高度な医療に感謝である。

さらに無限残業の話で、精神的に参ってるときだった。そこまで親しくない、なんて言い方をすると失礼だが、ある先輩と職場の駐車場ですれ違ったときに『がんばれよ!!!』と大声で言われた。突然、その先輩が柄にもない大声で言うものだから、駐車場で一人で泣きそうになってしまった。その先輩も自分と同じ業務を担当した経験があったので、担当しか知らない地獄を味わっていたのだった。人には人しか知らない地獄がある。

そして運命の1月23日だ。衝撃的な出来事が起こる。この日も自宅で通話しながら、東京の友人と競馬をやっていた。競馬にはWIN5という賭け方がある。ざっくり説明すると"JRA側が指定した5レースの1着馬を全て当たると払い戻しが受けられる"というものだ。

この日も友人とWIN5共同購入して、レースを眺めていたが、残念ながら5レースのうち1レース目から早速ハズレ。この時点で、WIN5自体はハズレが確定したのだが、その後のレースを眺めていると、なんと2レース目から5レース目まで全て的中したのだ。つまり、1レース目さえ当たっていれば、WIN5的中ということで払い戻しを受けられていたことになる。

その払い戻し額を見て、友人と呆然とした。PCの画面には、『3026万1490円』という数字の羅列が無味無臭に表示されていた。あと1レースさえ当たっていれば、1人頭約1,500万の払い戻しを受けられたのである。

爆負け、爆負けだ。田村でも負け、谷でも負け、母でも負け。爆負けの金メダル。爆負けが『ストップを言うまで乗せますからね〜』と海鮮居酒屋のいくら丼のいくらのように押し寄せてくる。あああああああああ!!!!!!もう止めてぇぇぇぇぇぇ!!!!!!ストップ!!!!!ストップですぅぅぅ!!!!!!!(裏声)

その後、友人と通話で一通りの負け惜しみという名の騎手と馬の悪口を言った後、自宅近くのリンガーハットで夕食のちゃんぽんを食べた。しかし、そのちゃんぽんは無味無臭だった。あまりの額面の大きさに自分は味覚と嗅覚を失った。そのため、1月に一時的ではあるが、前述の視覚と合わせて、合計3つの感覚を喪失したことになる。とても貴重な体験だった。ありがとうございました。(?)

そして、3月だ。マッチングアプリで知り合った、ある女性と飲みに行くことになった。結局、3月21日に2回目の食事に行ったときに自分から告白して、付き合うことになった。色々と書きたいことはあるが、あまり書くとキモいので、控えておくことにする。そもそも、自分はブログ含む書き物の類で、"成功した話"を延々と書くヤツが嫌いだ。キモいんじゃ。

そう、賢明な読者諸君はお気づきだと思うが、1月23日に爆負け→3月21日に爆勝ちなのである。彼女と付き合えたことを爆勝ちと表現するのはどうかと思うが。つまり、この法則性でいくと、4月56日に爆負け→6月54日に爆勝ちになるのである。高卒パワー全開!!!!!!!!!!!!!ではまた。

2021.9.26

シルバーウィークが静かに終わろうとしている。明日から5日間連続で仕事が続くという事実に、自室で一人震えている。ただ震えるばかりでは、勿体ない(?)と思ったので、今回久しぶりにブログを書くことにした。


『書を捨てよ街へ出よう。』自分の中でも、とても好きな言葉だ。出典などもろくに調べていないが、この言葉と出会って以来、この言葉は自分の体内で息をし続けている。旅が好きな自分の性分に合っているどころか、理屈っぽい自分のことをあざ笑ってくれるような気がして、とても好きなのである。


しかし、例のウイルスが流行してからというもの、旅どころか街へ出ることも控えるような世の中になってしまった。人間の移動本能は抑圧されている。ファッキンコロナ。だが、今回のシルバーウィークに久しぶりに友人達と旅へ出た。旅先ではお酒を酌み交わしたり、日々の些細なクソみたいな出来事から、人生の大事なことまで様々なことを話した。


旅先の街並み、お店の雰囲気、駅前の商店街の空気、雑踏で耳に入ってくる言葉、人々の歩くスピードや服装、出会った人達と交わした言葉、友人のサカナクションが響き渡る場末のスナック、もう飲みたくないと思ったレモン酎ハイ、態度の悪いタクシー、二日酔いで浸かる熱い湯船、もう吸いたくないと思った友人から借りたグロー、また座りたい新幹線のグリーン席、高速道路の長時間の運転、どこでも食べられるガトーショコラ、跡形も無くなっていた占いのお店、夜のサービスエリアのラーメンとチャーハン、カラオケの桑田、久しぶりに自宅に戻った時の"自宅の空気の匂い"。全てが良かった。


兎にも角にも、自分で体験・経験することが大切だ。おそらく『書を捨てよ〜』という言葉も、そういうことを言いたかったのだろう。そういうことにしておこう。現代のSNSとかも、この『書』には含まれているような気がする。今やインターネットで検索すれば、大概のモノは出てくるのだ。そこで『分かった』と思ってはいけないんだよと。まぁ、そんな感じだろ。詳しくは知らん。


最近よく聴く、The Whoopsというバンドの衛星という曲にこんな一節がある。"年をとれば忘れるから そんな欲張りは言えないや 素敵だとか、不思議だとか そんな簡単なことを 話したり思ったり感じたり笑ったりだけでいいよ"。素敵だね〜〜〜。また明日からもボチボチやりましょう。おやすみなさい。

2020.12.26

今年を振り返ると、外出自粛期間の内に、自宅でキンミヤの焼酎を飲み続けて肝臓を壊したり、元カノに振られた反動により競馬で2分間で27万円負けたり、果ては先輩の結婚式の余興でミルクボーイの漫才を完コピするために、髪型をミルクボーイ内海の角刈りにした影響から、現在自分の髪型は坊主である。いくつかは自業自得なものもあるが、中々に散々な1年である。

ウイルスが落ち着き始めた頃から、友人や職場の先輩達と、いつもと同じく、毎週のようにお酒を酌み交わしていた。今年、周囲の人々は次々に結婚していった。同じ年齢で子供がいるのはザラだ。正直言って、まだ孤独を受け入れるとこが出来るし、一人の時間が欲しいので、到底結婚する気も予定も無い。来年も孤独を愛していこうと思う。

秋には東京へ行った。そこで、Twitterで知り合った一人の男性と飲んだが、半端じゃない程の人生観と人生経験の持ち主だった。再会の日まで、死ぬ訳にはいかない。世界は広くて、まだまだ自分の見聞が及びもしない人や分野が、無数にある。全てを体験することは、短い一生では不可能だと思うが、出来る限り触れてみたい。

今乗っている地下鉄には、『何度転んでも走り続けるんだ!』と書かれた、地下鉄の車両を模したおもちゃの中吊り広告がある。それは一見特に現在の情勢とは無関係だが、その文字が書かれているところだけ、赤い文字になっている。まあ応援なんて大体が身勝手なもので、受け取り方も同じく身勝手だ。この広告が静かに自分に着地したように、それくらいの応援を来年は自分が他人にしていきたい。